第3回ふれあいサロン
ポルトガルってどんな国?
開催日時:2018年10月28日
開催場所:ギャラリーキャナル長堀 地階
出席者数:17名
講師;ディオゴ・サントスさん(ポルトガル・神戸大学博士課程留学生)
タイトル;ポルトガルってどんな国
1、国際史と日本の関係
・戦国時代におけるポルトガルと日本とのかかわり
・ポルトガルは軍事力が弱く、貿易中心で世界に進行した。
・スペインと世界の覇権地域を決め、スペインは南米ブラジルから以西、フィリピンから以東。
ポルトガルはブラジルから以東、フィリピンから以西と取り決めをした。
・これのよりポルトガルは西アフリカで金の採集、インドで胡椒等を手に入れ、貿易を拡大した。
・マルコポーロは日本は金の国とヨーロッパ諸国に喧伝したため、ヨーロッパ諸国が日本に興味を
示したが、実際は日本は銀の国だった。
・ザビエルはスペイン人。3人の日本人と鹿児島や山口でキリスト教布教を行った。
長崎は最初はポルトガルの影響力が強かったが、後になってオランダが影響力を強めた。
2.食べ物
・オリーブやチーズを使った料理。タコ、イカ、イワシ、タラ、マグロ等の魚料理が多い、
イベリコ・・・イベリア半島の黒豚。
・現在もカステラ、バッテラ、てんぷら等ポルトガル語が日本で使われている。
3.観光地
・北と南では気候が異なる。
・海岸線の近くが景色もよく、住みやすい。
・闘牛は南の地域のみ。
国際ビジネスアドバイザー 樋野伸二郎様
演題 中東諸国の現況
日時 2018.9 .9 13;30~15;30
場所 キャナル長堀 1階
出席者 24名
講演内容
・中東、アフリカ諸国を地図で紹介
・産油諸国の経済発展
・ホルムズ海峡の重要性
・UAE ドバイの発展
経済の発展は石油に頼らなかったこと。流通業、製造業、貿易業等に注力。
世界の国を相手に貿易中継基地として発展。
ドバイ空港利用者は年間90百万人で世界一。
昔はハイジャック空港として有名であった。
樋野さんのUAEとのつながり・・・大学卒業後、建築の仕事でドバイへ行ったが、途中
で仲間全員が日本へ帰国。一人残され、専門は建築関係ではなかったが、現地の建築専門家等と関係を強くし、彼らを使って現地の要望に応え、成功した。
UAEの国王親族や有力指導者とも関係を強くした。
人口940万人うち10パーセントがアラビア人、他は出稼ぎ
ラクダ、フンコロガシの話
酷暑の中での生活の知恵・・・サンゴを壁に使う。昼間外出しない、夜動く。衣服はガンドーラとサンダル。肌を見せないことも猛暑対策
・中東の三大宗教はユダヤ、キリスト、イスラム教
これを知らないと現実の紛争を理解できない。
豚を食べないのは乾燥地(砂漠等)では病気になりやすいため。
酒を砂漠で飲むと頭痛がする。
出席者 17名
講師 ゴジャタスエコップ(トルコ)近畿大学経済学部3年生、21歳
東京で2年間、日本語勉強
日本の文化、技術力、アニメ等に興味があり、留学した。
演題 トルコはどんな国
1. トルコと日本の関係
トルコの船が和歌山沖で転覆したとき、近くの住民が多くのトルコ人を
救助。イランイラク戦争のとき、多くの日本人を救い、日本へ飛行機で
送り届けた等トルコと日本の関係は非常に密接な友好関係にある。
2. トルコの文化、宗教
3. 観光地
4. 食べ物
第7回ふれあいサロン
開催日時:2018年3月4日
開催場所:ギャラリーキャナル長堀 地下
出席者数:12名
タイトル: 中国の現況に関して – 文化教育などを中心に
講師: 苗勇さん
現在大阪の府立高校で、中国語を教えている。
講演要旨:
苗さんの出身地は、中国の東北3省の一つ(旧満州)の南端の遼寧省興城市。
中国は国土面積が960万㎞²、北部には黄河、南部には長江(揚子江)が流れる。北京、九賽溝などの紹介。中国は多民族国家で、56の民族がいる。通貨は、元-角-分があるが、現状では、インフレで2角以下の通貨は使うことがなくなった。現金よりも、電子マネーが広く使われるようになっている。
中国の簡体文字の導入経過の説明、文字は簡単なほうがいいだろうという実用的な意味がある。繁体字から簡体字にすることに対し、複雑な字を単純化することは専門家を除いて反対意見はない。発音を示すピンインは、イタリア人の考案とのこと。子供の名付けビジネスもある(300元)。
中国人にしてはならないこと:時計をプレゼントすること(命や、物事の終末を知らせる)、梨は二つに分けてあげること、緑の帽子をプレゼントしたり使ったりすること。
中国では車は右側通行、国際免許が使えないこと。
学校は、小学校(6年あるいは5年)、中学校(3年あるいは4年)、高校3年、大学4年。中学校以上は入学後すぐに1週間の軍事訓練がある。現在では、大学進学率が70-80%、センター試験受験者は1000万人、激烈な競争。優秀な高校の時間割の例、早朝6:40-7:40、朝自習、午前の授業は7:10-11:20(4コマ)、昼休み11:20-14:00、午後授業14:00-17:10(3コマ)、夕食17:10-18:00、夜授業18:00-21:30(4コマ)。帰宅後、塾に行く生徒もいるとのこと。一流大学に入学できる者は5%程度、外国留学者も多い。外国留学は、トップレベルは、米英へ、次のクラスは日、韓、シンガポールなどへ。
我々が持っている中国に関する知識は、昔のことらしい。講演の途中、あとの質疑応答がとても活発であったが、日本人(我々世代だけかもしれないが)が持っている中国に関する知識が現代中国の現実とは相当ずれがあることを示しているのかもしれない。とくに文化大革命以降の中国で育った年代の若者の感覚は日本の若者よりも実際的ではないかと感じる。激烈な競争社会で勝者になるため大変な努力を強いられ、それに耐えうるものが生き延びる社会であるが、それを当然のことと受け止める社会でもあるように感じた(岸の感想)。
(文責 岸)
開催日時:2018年1月28日
開催場所:ギャラリーキャナル長堀 地下
出席者数:21名
タイトル: コーカサスの民 アルメニア
講師: アニー ベドロシアンさん
講演要旨:アルメニア共和国について、昔の国土は現在のトルコ、シリア、イラクにまで及ぶ。現在のアルメニアは、北のグルジア(ジョージア)、東のアゼルバイジャン、南のイラン、西のトルコと国境を持つ。近隣諸国との関係は、東のトルコ、西のアゼルバイジャンとは友好的ではなく、北のジョージアと南のイラン、また、ロシアとも友好的である。
アルメニア人は、国名をハヤスタンと呼ぶ。国名のアルメニア人の始祖ハイク・ナハペトと、スタン(ペルシャ語で“~の土地”)に由来する。
旧石器時代からの歴史がある。古くは現在の国土の20倍の広さがあったが、近隣諸国に侵略されてきた。19世紀末からオスマントルコの支配下にいたアルメニア人はトルコに反発し、キリスト教徒アルメニア人およそ150万人が1915年までに虐殺された。現在も例年慰霊祭が行われている。アルメニアの人口は、約300万人であるが、世界各地に住むアルメニア人は800万人いる。国内の住民の98%はアルメニア人である。
301年に世界で初めてキリスト教を国教とした。現在は、アルメニア正教徒が大部分を占める。キリスト教の布教のためにつくられた38からなるアルメニア文字がある。古い石造りのギガルド修道院は2000年に世界遺産とされた。
1万年ほど前から人類が居住してきたアララト盆地に首都エレバンが位置し、最高峰アララト山(5,165m)には、ノアの箱舟がおかれている。
6100年前のワイナリーが発掘されたことが示すように、古くからワインが製造されてきた。コニャック、その他のアルコール類も生産される。手工芸品がさまざまある。古くからの楽器があり、ダンスとともに、家庭や祭りで、演奏されたり、楽しまれる。食べ物は、トルコ、シリアなどと共通するものが多い。小麦粉と水と塩だけの薄く伸ばしたパンを窯で焼く。伝統的な女性の衣装によって、未婚、既婚、子供の数までがわかる。
我々日本人には、ほとんど知られていない上記のようなアルメニアに関する貴重なお話しがありました。アニーさんは、シリア北部のアレッポで生まれ育ち、アルメニアとシリアの二つの国籍を持っていて、日本にはシリア人としてきているようですが、アルメニア人としての強いアイデンティティが感じられ、シリアから来た人のように思えませんでした(岸の感想)。
(文責 岸)